視能訓練士ママdiary

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【ノートに隠された母の想い】

こんにちは。

痛みもだいぶ落ち着いてきました、ぱんだこです。

 

昨日は、夜眠れなくて。

病院のベッドの上で腰痛対策をしながら・・・

なぜか母のことが頭の中をグルグル回ってました。

考えたら考えるほど眠れなくなって、

思い出してしまって。

 

実は、私が手術をした1月31日は、母の還暦の誕生日でした。

整理できない気持ちを整えたいので、

今日はちょっと母のことを書いてみます。

 

 

幼いころの母の口癖

 

【ぱんだこを産むとき、性別を聞かなかったんだけど、ずっと男の子だと思ってたの。】

 

【男の子が欲しかったから、3人目が男の子だった時は本当に嬉しかった。】

 

こんなニュアンスのセリフを、昔母はよく笑いながら話していました。

 

聞き流してしまうくらい自然に言っていました。

でも、この手の母の言葉をきくたびに、幼い私の心は深く傷ついていて、

自分を否定されたような気持ちにさえなっていました。

 

なぜ母はこんなことを言うんだろう。

 

もちろん母に悪気はないのです。

もはや今となっては母は、そんなこといったことすら忘れてると思います。

 

でも、私ははっきり覚えていて、何かあるたびに思い出していました。

 

そして、この口癖の意味を、20年以上の時を経て知ることになりました。

 

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【母子手帳にはさまったノート】

以前ちらっとブログの記事で触れましたが、私は息子るるくんを出産する際、母から私の母子手帳をもらいました。

 

過去記事はこちら↓

 

www.hareruyatan.work

 

その中にはさまったノートの中には、母が私を妊娠していたころの育児記録が書いてあって。

キレイな母の字は読みやすいのですが、ところどころ、文字に滲みができていました。

 

これは、涙。

涙の乾いた後。

日記の内容を読んで、すぐにわかりました。

 

そこには、お腹の私に向けられたものではない、別の子へのメッセージ。

 

私を産む前、母は妊娠、流産手術をしていたのです。

その子は男の子だったらしい。

 

そう読み取れる内容でした。

 

産んであげられなくてごめんね。

この子をあなたの分まで愛情をもって育てるから、どうか許してほしい。

あの時仕事を休んでいれば、あなたを産むことができたかもしれないのに。

あなたはどんな顔だったんだろう、声だったんだろう。

 

 

ノートには、私の成長過程とは別に、

自分を責める母の後悔の思いがぎっちり書かれていました。

 

知らなかった。

私を産む前に、母が男の子を妊娠していたこと。

流産手術をしていたこと。

流産してしまったのは自分のせいだと自分のことを責め続けていたこと。

 

 

そして納得がいきました。

 

幼い頃の私に、母はこの男の子を重ね合わせていたんだ。

無意識かもしれないけれど。

だからあんな言葉を私にいっていたんだ。 

 

 

それが分かった途端。

幼いころの傷ついた気持ちが、なんとなく薄れていくような気がしました。

 

それと同時に疑問。

 

母は私に、このことを伝えたかったのか?

何故、出産前の今?

でも、伝えたくないのなら母子手帳からこのノートを抜いていたはず。

私に知ってほしくて一緒に渡したに違いないと思いました。

 

母の涙

 

だから、軽い感じで聞いてみたのです。

 

母子手帳に挟んであったノートみたよ。

知らなかったからびっくりしたけど、

お母さん、一度流産してるんだね。

 

 

さらっと聞いたはずなのに、

 

次の瞬間、

 

 

母は泣いていました。

 

 

 

 

姉や私の結婚式でも、祖母のお葬式でも泣かない母が、大粒の涙を流していました。

こんな涙を流す母の姿をみるのは、初めてのこと。

 

 

そして言葉にならない声で母が

 

もともと小さい赤ちゃんで大事にしないといけなかったのに無理して仕事をしたの。

そのせいで死んじゃった。

入院して、手術して・・・

私のせいで産めなかった。

 

 

 

その後の母は、咳をきったように泣きながら話しだしました。

 

流産手術をしたことを今でも時々夢にみること、

その時のことが昨日のように鮮明に蘇ること。

産んであげられなかった後悔をずっと引きずっていること。

 

 

もしかしたら、本当は母が激務をこなしたことが原因で流産したわけではなく、

他にも原因があったのかもしれないけれど。

でも母の中で、我が子を自分のせいで失ったという気持ちがずっと後悔として残っているようでした。

 

私は相づちすらうてなくて。

完全に母だけがしゃべっていました。

尋常じゃない量の涙を流す母の姿が、

どれほど自分のことを責めて、

子供を流産してしまったことを後悔しているかを物語っていました。

 

 

気の利いた言葉なんて全くでてこなくて。

何か言わなきゃ、と思っていたけど、

でてこない。

ただそこにいることしかできない。

 

きっとこんな時弟だったら、

Take it easy!!

とかいうんだろうな・・・なんて考えていたら、

 

突然母が

 

この話はもう終わり。

 

多分、もう二度と話すことはないと思う。

ぱんだこ以外の兄弟は誰も知らないことだから、心の中に止めておいて。

 

 

 

はっきりした口調でこう言いました。

 

でも、

 

その後も、

 

 

 

 

母はずっと泣いていました。

 

母が落ち着いたのは一時間後。

落ち着くのを待って、私は帰宅しました。

 

 

自分を責め続けた母

 

るるくんの母となり、親となった今、

私も母の気持ちは痛いほどにわかります。

産んであげたかったという気持ち。

当たり前のことです。

 

 

でも私はそれ以上に、

 

母が25歳から35年もの間、

ずっとひとり自分を責めつづけていたのかと思うと、

そのことが辛くて仕方がなかった。

 

少しでも母の気持ちを軽くしてあげたかったけど、全く、何も方法が浮かばなくて。

かける言葉も見つかりませんでした。

 

 

長年一緒にいたはずなのに。

知らなかった。

 

 

きっと、母はこれからもずっと、

生涯このことを責めて生きていくんだろうと思います。

どんな言葉をかけても、

母の心をいやし、気持ちをかえるのは無理だと、話を聞いて思いました。

逆に母は自分を責めることで、お腹の中にいた子供のことを忘れないで

いられるのかもしれません。

 

 

私も、もう二度と母にも誰にも、

兄弟にも旦那にも話すことはないでしょう。

 

入院してる今、

ふとこの出来事が頭に蘇ってきました。

 

誰にも話すことはないといったのに、

1人では受け止められなかったので、

ブログに書いてしまいました。

 

結局、なぜ母が母子手帳にあのノートを挟んだまま私に渡したのか、その意味は分からないままです。

 

 

 終わりに

 

1月31日は、私の手術だったので、

母の60歳の誕生日は旦那が用意した小さなケーキだけだったそうです。

だから、後日姉夫婦と一緒に還暦パーティーをする予定です。

 

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感謝の気持ちを込めて、

盛大に祝ってあげよう。

 

入院中仕事を休んで手伝いにきてくれたことも含めて。

いろんな思いを込めて。

 

私の兄になるはずだった男の子は産んであげられなかったかもしれないけれど。

でも母は、私と姉、弟の3人をしっかり育て上げ、沢山の愛情をそそいでくれました。

 

 

その感謝の気持ちを伝えよう。

 

 

それが、少しばかりでも母の癒しになるかもしれない。

 

そう思いました。

私にできることはそれくらいだけど。

 

60歳になった母を。

心からの感謝でお祝いします。

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!!!

 

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